こぼれ話
    
    
    1 納所文子のレコード?
    
      下記画像のスワンレーベルの1枚と、ラビットレーベルの1枚が手元にあります。
    
      【スワンレーベル】
      
    
      
    
     【ラビットレーベル】
      
    
      
    
      いずれも両面共に同一音源で、レーベルのクレジットには”納所文子”とあります。 
      針を落として聞いてみると、通常の納所文子盤とは異なり、独唱ではなく合唱でした。
      「文子の合唱音源とは珍しい。おそらくこの中の1人が文子なんだろうなあ。」 くらいに認識していたところ……。
    
      
    
      なんと、上記画像の象印レーベル(別途入
    手)と 同一音源でした!(なお、裏面は「唱
    歌 戦友」とは別の曲)
      こちらには、文子・弁次郎のクレジットはなく、歌唱は”東京音楽倶楽部員”、ピアノ伴奏は”赤星国清”となっています。 
    
      「文子・弁次郎は、出張録音は天賞堂名義のアメリカコロムビア盤でしか行っていないはずで、三光堂名義のドイツ・ライロフォン盤では吹込を
    行っていないはず。はて、これはどういうことか。」
    と考えていたところ、『近代庶民生活誌 第八巻』(南博(編者代表)、三一書房、1988年)
    において、岡田則夫氏が掲載・解説している出張録音盤のリストにヒントが載っていました。
      当該本の350ページの目録中にこのレコードが記載されており、レコード番号70574として「戦友」(こちらは未入手)もリストアップされ
    ていました。
    
      岡田氏の解説(501ページ)によると、このレコードは、ドイツ・ライロフォンの明治末期の出張録音盤で、1910年11月の録音盤であると
    いうことが分かりました。
    
      以上から、次のような推測を立てました。
     ・「道は六百八十里、軍艦行進曲」「唱歌 戦友」ともに、オリジナル盤はドイツ・ライロフォンの出張録音。 
     ・これを複写盤として、全く関係ない会社がスワンレーベル、ラビットレーベルで発売した。 
     ・実際には文子は歌っていないが、当時日蓄のドル箱歌手であった”納所文子”をクレジットすることで、複写盤の売上増を目指した。 
    
      もっとも、「軍艦行進曲」で独唱の部分があり、文子の声と酷似しているようにも聞こえるため、”東京音楽倶楽部員”に文子が混ざっていたとい
    う可能性も否定できません。
      どなたかお詳しい方の解説を頂戴したいと思います。
    
    
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